【出身地・師系】
摂津国八部郡(現、神戸市)/
【所属・任】
第5代日本薬剤師会会長、東京薬学専門学校(現東京薬科大学)校長など
【主な受賞】
勲一等瑞宝章、勲二等瑞宝章、勲三等瑞宝章など
【略歴詳細】
1月28日生まれ。明治から大正期の薬学者で方医、丹波元礼の三男。東京大学製薬学科(現在の薬学部)第一期卒業生。その後ドイツエアランゲン大学に自費留学し衛生学や裁判化学を学ぶ。1887(明治20)に帰国後、改組された東京帝国大学医科大学薬学科の教授となり、梅毒治療薬を研究国産化。のち「タンバルサン」と命名し、国内で販売、薬事法の概要の制定に携わるなど日本の近代薬学の基礎を築く。
1912年(明治45)第5代日本薬剤師会会長に就任。また1917(大正6)には東京薬学専門学校(現東京薬科大学)校長も就任し、同年勲一等瑞宝章受章。1927(昭和2)10月19日死去。
〔印 名〕
「淡斎」 「丹波敬三」 など
〔市場評価〕☆
〔美年鑑評価〕
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