長与焼

長与焼
Nagayo yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


肥前国(長崎県)長与村の焼物で創始は1667年頃と言われ廃窯の1859年まで約200年の間2度の再興を挟んで生産した。
始めは1667年に浅井角左衛門、尾道吉右衛門、山田源右衛門ら当時の陶工らが創始し約30年間に渡り生産を続けた(この時期の資料は少なく磁器なのか陶器なのかも不明)。
しばらく生産を中止していたが同国内波佐美の太郎兵衛と称すものが1712年に窯を再興、その後、約100年間の隆盛を築いたが1820年当時の焼物物価下落の影響で廃窯となった。
この頃の長与焼が現在に代表される物で当初は陶器、磁器の酒器、皿、鉢など日用品主体であったが経営が順調であった為販路を拡大し「大阪御笹紅(口紅)」の容器の注文を受けたり、1775年には白磁窯砥部焼に陶工を派遣して製陶指導を行ったりしている。
さらに、中国や安南からの三彩、交趾技法も取り入れ鮮やかな釉薬の雅趣溢れる作域を示し大いに隆盛を極めた。
その後、太郎兵衛の子孫に当たる渡辺作兵衛が1845年に2度目の再興を行ない、白磁染付類や同じ肥前の亀山焼、現川焼などを模した作品を制作したが起動に乗らず1859年に完全に廃窯となる。

〔陶 印〕
呉須描「長与」「長」など


落 款 ・ 印 章