ウィーン万国博覧会事務局陶磁器製造所の事務官であった
河原徳立
が同所の解散後、引き継いで1873年に東京深川に設立した輸出用陶磁器の絵付専門工場で、瀬戸の加藤繁十や、有田などから素地の陶磁器を取り寄せ、優秀な絵付職人を集めて陶磁器に日本画さながらの写実絵付を展開。
その技術は国内外の展覧会で多いに評価され一時期を築くが後年は経営不振に陥り森村組(現在のノリタケカンパニー)の専属工場となる。
また、1906年に京都東山に京都瓢池園を河原と親戚の実業家広瀬満正が共同で設立。併せて「ふくべ焼」(ふくべとは、瓢箪の意)と称して製陶したが、それも軌道に乗らず09年には事実上の解散となった、その為特に京都瓢池園製の陶磁器は幻の焼き物とされ現存は非常に少ない。
〔陶 印〕
「京都製陶所」「池園」(瓢箪印) 「河原」(赤絵または染付押印)「瓢池園製」(手描)「瓢」 「瓢亭」 「ふくべ」 など
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