水野焼

水野焼
Mizuno yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


文政年間〜天保年間の頃の焼物で楽焼。

文政年間(1804〜1818)の頃、江戸千家 川上不白 の門人であった茶人水野出羽守忠成が道太郎と称す陶工を自らの江戸辰ノ口屋敷邸内に招いて楽焼を焼かせた物。
1838年に忠成が没すると共に廃窯となり製作期間が短く現存作品は極めて少ないが、楽焼の技法が楽9代の了入に近く師、 川上不白 の推挙により指導を得たものと思われる。


落 款 ・ 印 章