1624年(寛永元)頃、京都粟田口で開窯した仁清の師、三文字屋九右衛門(粟田焼創始者)の子「庄左衛門」と「助左衛門」により、押小路東洞院東入ルに開かれたと伝わる。また乾山の陶法伝書には「京都押小路柳馬場の東に押小路焼物師一文字屋助左衛門と云者、唐人相伝の方を以て内窯焼レ之」と記されている。
明和頃(1764-72)まで継続し盛んに仁清写しの作品を製作した。他に交趾、染付、青磁も製作した。
現在の押小路焼は、その継承者、粟田庄エ衛門が茶道具を中心に作陶に勤しむ。
〔陶 印〕
「押小路」 「庄エ衛門」 など
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