駿河国府中の賎機山麓にて生産された物でその創起は寛永年間(1624〜44)とされるが、それ以前、1572年に徳川家康が浜松で武田信玄を打ち破ったのを祝い陶工の太田七郎右衛門が賎機山麓の土を用いて福内外鬼の三つ盃を献上したのが始まりとも言われ、以降、徳川家の庇護の下で駿府城、浅間神社、久能山東照宮の御用をつとめたとされ、幕末期まで焼かれていたとされる。
明治中期になって静岡の伝統産業として再生、以来、盃を徳利にかぶせた砲弾形徳利の製造や常滑、美濃の技術導入など研究や改良を加え、更に大正期には漆を用いた漆陶器、昭和期には南蛮手など多様化しており現在も静岡県の伝統工芸品としてコーヒー碗や皿などの日曜使用品を中心に製作している。
制作当初の古賎機焼の特徴としては楽焼が主で時代後年になるにつれて交趾風なども取り入れた茶碗・酒器を制作、陶印も数種確認されているが葵紋が焼き付けているものも多数のこる。
〔陶 印〕
枠無押印「賎機」「志つは多」「賎機小土造」 角印「賎」二重枠「賎機」
二重枠「竹茗」「竹茗堂」など
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