花明山焼

花明山焼
Kameyama yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


1954年に京都府亀岡市天恩郷に宗教団体「大本」の三代教主 出口直日 が創始した窯で、亀岡が亀山と呼ばれていたことをもじって花明山と称した。
京都の陶芸家 宇野三吾 の古窯を譲り受けて始まり、備前焼の 金重素山 を招聘してこの窯を差配させ、初窯時には素山のほか金重陶陽、石黒宗麿らの作品も共に窯入れしている。
その後は大本の日向良弘を中心に作陶を行い、亀山城の濠から出る鉄分を多く含む良質な土を使い練込手の作品(作品名は織込手)を作り花明山焼の特色としたが、後援者の北国新聞社長嵯峨保二の死去により廃窯、実質四年ほどの製作期間であった。


〔陶 印〕
「かめやま」 など


落 款 ・ 印 章