1827年に高松焼を経て崎山利兵衛が紀州藩の庇護を受けて開業した染付磁器を中心とした焼物で、和歌山城下南広村の八幡宮裏地に開窯。
明治維新後も制作を続けたが1875年に利兵衛が没すると作品の出来、売上が共に落ちて78年に廃窯、尚、現在も男山銘のはいった製品があるが、盃、湯呑みなど手軽な土産物として伝統を残す物である。
作風は染付による和歌浦八景などの風景や亀甲文、雷紋を花瓶、香炉、茶器に施し、全盛時には
偕楽園焼
などと共に藩を代表する焼物として高い評価を受け、藩に献上する製品に物には赤絵や色絵の作品も制作している。
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