兵庫県篠山町(現篠山市)の焼き物で大正初期に同地の陶工初代今村静斎が起こした焼物で主に茶陶を中心に焼成、またその後を2代源之助が引き継ぐが源之助没後(1935年没)は廃窯となる。
初代今村静斎
1890〜1922 明治23〜大正11
1969年ごろに廃窯となった王地山焼(篠山藩主青山氏の藩窯)の再興を志して、京都陶磁器試験場にて技法を学び、更に5代高橋道八の下で修行した後、帰郷して連房式登窯を築窯して再興、茶陶に秀作が残るが1922年に33歳の若さで没している為、その遺品は少ない。
2代源之助
〜1935 生年不詳〜昭和10年
生年が不明であり、初代が早世のわりに没年が13年ほどしか離れていないので親子ではなかったと思われるが弟か?
初代に比べ幾分幅の広い作域を示したとされ、田能村直入、藪内休々斎ら文人、茶人とも良く親交を深めたといわれる。
〔陶 印〕
「さゝ山」など
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