作家资料
BIOGRAPHY- 出身地・師系
- 江戸/木下順庵
詳細略歴
【出身地・師系】江戸/木下順庵【略歴・作風など】紀伊藩の藩医祇園順庵の子として江戸に生まれ、14歳のときに木下順庵の門下となり朱子学を学び同門であったに新井白石、榊原篁洲らと共に「木門十哲」の一人として称されるほど詩文に長じた。また、二十二歳のときに父の没に伴い家督を襲名、紀伊藩より禄を賜るが後に性格の不行、放蕩癖などにより剥奪されており以降、10年間は貧困の生活を送るが五代藩主徳川吉宗の代となると赦しを得、1771年に来朝した朝鮮通信使の接待役を命ぜられその功績により禄を戻され、以降、1713年に建設された藩校湊講館の初代校長を務めるなど長年にわたり活躍。また、詩文のみならず中国渡来の画譜「八種画譜」や「芥子園画伝」に私淑して独自に元や明の画法を研鑽、画の門下にも柳沢淇園や彭城百川、池大雅らがおり後世に大きな影響を与え日本における文人画の創始者の一人とも言われる。〔印名〕「源揄之印」「紀府文學」(「紀府文学」)「白玉氏」「葛陰墨樵」「虚室生白」「玩揄之印」「竹渓一逸」「竹渓餘逸」「?雲埜鶴」「嬾隋解嘲」「湘雲主人」など〔市場評価〕★★〔美年鑑評価〕300万
印名
- 源揄之印
- 紀府文學
- 紀府文学
- 白玉氏
- 葛陰墨樵
- 虚室生白
- 玩揄之印
- 竹渓一逸
- 竹渓餘逸
- ?雲埜鶴
- 嬾隋解嘲
- 湘雲主人
- 市場評価
- ★★
- 美年鑑評価
- 300万
