作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】江戸(東京都)出身師、高村東雲【所属・任】東京美術学校名誉教授、東京彫工会、他【認定、受賞】帝室技芸員【略歴・作風など】11歳の頃、仏師の高村東雲に入門しその後東雲の姉の養子となり高村姓を名乗る。師に就き仏像彫刻の補佐、代役を務める傍ら独自の彫技を見出していき77年には第1回内国勧業博覧会で最高賞を受賞、1890年には岡倉天心の勧めにより東京芸術学校に勤務、翌年には帝室技芸員に選出される。また展覧会では93年に「老猿(重要文化財)」をシカゴ万博に1919年に「山霊訶護」をパリ万博に出品している。当初は仏師であったが光雲の最も活躍していた時期が明治新体制の時期と重なり廃仏運動の為、仕事がなく動物をモチーフにした物や用の彫刻に転身、また代表作「老猿」に見れるように超写実主義ともいえる圧倒的な作風で伝統ある仏彫物師の技術を近代に受け渡した人物と言え門下には子息の高村光太郎、高村豊周をはじめ平櫛田中ら優れた近代彫刻家を輩出した。光雲の作品などはもともとすでに美術館、博物館に収まっており市場にはめったに出ない代物(業者オークションなどに出たとしてもすぐにそういった公的機関に収まるので美術小売店、Webオークションなどにはまず出ない)だが近年は精巧に作られた贋物(光雲原型ではない)が多数出回っており取り扱う際は細心の注意が必要となる。尚、公的鑑定は光太郎のご子息、高村規氏(現在写真家)。〔印名〕「光雲」など〔市場評価〕★★★★★☆