作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】島津重豪の長男【称号】幼名虎寿丸・又三郎・名忠堯のち斉宣・号溪山・此君庵・清陰庵・伴雲斎・宗一・法名大慈院舜翁溪山・薩摩鹿児島藩主・従四位上左近衛中将・豊後守・薩摩守【略歴・作風など】天明7年(1787)襲封。先代より残された五百万両の藩債整理と財政改革のため、家老に樺山主税・秩父太郎の近思録派の一党を起用、徹底的な緊縮政策を行わせた。その施策がやや性急で、先代の施設を根本から覆したので、父重豪の激怒にふれ、斉宣は隠居を命ぜられ、樺山・秩父ら五十余名は切腹・遠島・寺入りに処せられた(近思録崩れまたは秩父崩れという)。師事:三世伊佐幸琢[茶]
