作家资料
BIOGRAPHY南北朝時代〜室町中期の画僧出生についての資料は乏しいが元は九州の人であったともする説がある。絶海中津より「大巧は拙なるが如し」として号如拙を拝領。京都相国寺に禅僧として従事、また独自に南宋画の研究をして水墨画を確立、足利将軍家の御用絵師としても活躍した。特に足利義持の命により描いた「国宝・墨画淡彩瓢鮎(鯰)図(京都妙心寺退蔵院蔵)」が残り日本古来画史において現存する最古の水墨画であると共に特に奇異な作品として有名。「瓢鮎図」について鮎とは元来鯰(なまず)を意味することで、瓢箪で鯰を抑える事(ができるか)に挑む男の図を義持が如拙に描かせ、それに対する答えを30数名の高僧の漢詩により画につけるといった禅問答的な作品となっている。門下には周文がおり一時雪舟等楊も学んでいたとされ周文・雪舟から狩野派へと変革する水墨画の祖とされている。〔印名〕「文清」など〔市場評価〕★★★★★〔美年鑑評価〕7000万