作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】美濃国岩村の人。金森源吾の子。美濃郡上(八幡)藩主金森氏の末裔と伝える。九代牛加(景邦)の婿養子。【称号】幼名加米造・名景命・字子奉・号牛加・清泉・上林牛加家十代・陸奥仙台藩の御用茶師・徳川将軍家の御袋御用茶師【略歴・作風など】文政十年(一八二七)、京都に出て桂宮家に仕え、朝倉右近帯刀と称す。天保十一年(一八四〇)、九代牛加の養子となり名跡を相続す。宇治茶師仲ヶ間の使者、また同家茶頭清水道仲の使者として江戸に出府す。若年より円山派の画技を学び、金沢に赴いて前田家に「宇治製茶絵」などを献上。安政五年(一八五八)、隠居して宇治白川・同下居に寓居し、晩年の寓居をもって楽只軒と称す。備考:神葬を遺言したため法名はない。妻は九代牛加の娘。次男景生が十一代牛加を継ぎ、松寿と号す。三男景穀は宇治下居の寓居を継承し茶ノ木人形の製作を継ぐ。初代牛加は近江瀬田城主山岡景隆の三男で、名は景永、通称孫三郎といい、大坂夏の陣の際、徳川家康に袋茶を献上して以来、代々牛加と号し、陸奥仙台藩主伊達家の御袋茶師御用の筆頭をつとめた。寛永四年(一六二七)没、法名円寿永。
