作家资料
BIOGRAPHY- 出身地・師系
- 東京都浅草馬道出身師、初代平田郷陽
詳細略歴
明治36年1月25日生まれ。生人形(活人形とも)師として菊人形、五月人形、市松人形などの人形制作で高い評価を得た初代平田郷陽(恒次郎)の長男として東京浅草に生まれ少年期より父より人形制作を学ぶ。1923年(大12)の関東大震災により父の郷里岡山に帰郷、しかしすぐに帰京、翌24年には父が死去となり21歳の若さで2代郷陽を襲名し、父の技の受注を一手に背負わなければならなくなる。その後1927年(昭2)日米親善の為に米国より「青い目の人形」が寄贈、この答礼のために58体の市松人形を東京、京都を始め全国から公募、200体以上の人形が集められたがこのとき、郷陽の作品が特出され、これを期に一躍名が挙がるようになる。また、この一件によりそれまで日本の芸術分野からは玩具の一部としての意識程度しかなかった人形に対して、自身で人形芸術というジャンルを模索確立するようになる。28年、意を同にした玉水他の人形作家らと共に「白澤会(後の日本人形社)」を結成、展覧会などもしばしば開催して作品を発表、また36年(昭11)には帝展工芸部の一部に人形部門が開設、同年「桜梅の少将」を出品、初入選となる。以降、文展、日本人形社展などの出品製作の一方で38年には私塾「童人舎人形塾」を開設。人形作家を志す若手育成にも尽力を示す。戦後は日展、日本伝統工芸展にも出品し53年第9回日展にて北斗賞を受賞、55年(昭30)に人形界初の国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定された。戦前までは父初代郷陽の技術を継承した生人形や実在のモデルを使用した写実的衣装人形の作品の職人としての作品が多いが、戦後日展に出品するようになってからは、人形を芸術に推し進める中で、前衛やややデフォルメした木目込み人形など造形的な作品が目立つようになる。これは当時、欧米などの影響により写実よりも抽象的な表現を重視した傾向があったため、また女性を中心とした人形ブームもあり作風を転向したためと見られる。尚、総体的なモチーフとしては女性、童子などが多い。
代表作品
- 桜梅の少将
- 文政童女
- 花の宴
- 順
主な作品所蔵館
- 東京国立近代美術館
- 横浜人形の家
- 吉徳資料館
- 熊本県立美術館
印名
- 郷陽
- 郷
- 平
- ごうよう
- ぐわうよう
- がうやう
- 童人舎
- 市場評価
- ★★★
