作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】源義朝の九男【称号】左衛門尉・検非違使・幼名牛若丸・遮那王丸・九郎・名義経・通称九郎判官【略歴・作風など】平治の乱後捕われたが、乳児であったので助命され、七歳の時、鞍馬寺に入寺。長じてのち、鞍馬寺を脱出、陸奥国平泉の藤原秀衡のもとに身を寄せた。治承4年(1180)、兄頼朝の挙兵に応じてこれに属し、寿永3年(1184)、源義仲を滅ぼし、翌年、一の谷・屋島・壇ノ浦の合戦で平氏を滅亡させた。のち梶原景時と対立、頼朝と不和になり、各地を転々としたのち、再び秀衡を頼ったが、秀衡没後、子の泰衡に急襲され、衣川で戦って自刃。備考:真跡は請文および消息がある。
