作家资料
BIOGRAPHY山形県出身1868年二歳の頃に父が死去したため佐藤家の養子となり以降、佐藤姓を名乗る。幼年期より神童と称されるほど成績がよく小学校を主席で卒業、また林子平著の「海国兵談」を読み海兵を志し84年に東京築地の海軍兵学校に入学。卒業後は日本海軍に入隊し87年に遠洋航海艦「筑波」に乗艦以降、優秀なる成績を収め89年に海軍少尉、92年に海軍大尉、98年海軍少佐、1902年海軍中佐、07年海軍大佐、12年海軍少将、16年海軍中将に就任し31年に退役、従役中は各戦艦の艦長などを務め日露戦争などで活躍、退役後は34年から貴族院議員に就任している。又その間1907年には海軍大学校の教官(その後校長に就任)として後進の指導にも尽力、08年の「帝国国防史論」を代表に多数の著作を出版し、「軍備の第一の目的は戦わずして敵を押さえ込む」として威圧において平和を維持し、戦争を未然に防ぐのが真の目的と独自の海軍思想を主張し現在の基盤となっている。〔印名〕「佐藤鐡印」(「佐藤鉄印」)「藍溪」(「藍渓」)など〔市場評価〕☆