作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】土佐(高知県)/師系多数の為下記を参照【略歴・作風など】相国寺第6世、南禅寺第55世などほか13歳のころに土佐より上洛し始めは天龍寺の夢窓疎石に参じ中津の名を賜名、疎石の死後は建仁寺に参禅し始め竜山徳見、次いで大林善育に10年間の教えを受けその後は鎌倉建長寺青山慈永のもとで修行をかさねた。1368年32歳のときに明国(中国)にわたり用貞輔良をはじめ明の高僧を参禅した後明の太祖である洪武帝から謁見を許されるまでに至り、俗的詩文の風と46文の技法を身につけたとして名声を上げ1378年に帰国、またこの渡明の間に中竺寺の季潭より号:絶海を貰い受け以降使用した。1382年3代将軍足利義満と対立し忌緯にふれたが後和解し晩年は相国寺住持やその他の寺の重役に就き1387年の相国寺焼失の際は再建に尽力した。詩文、書を能くして同じ夢窓疎石門下の義堂周信と五山文学の双璧と称されている。代表作「十年碩」が重文指定〔落款名〕「明水」「絶海」「釈中津印」など〔市場評価〕★★〔美年鑑評価〕500万