肥後国(熊本県)の御用焼で別名八代焼。
豊前国(福岡県)の上野焼を築いた上野喜蔵(尊楷)が藩主細川忠利の肥後国への転封に伴い、肥後国八代城近隣の高田郷にて開窯したのが始まりで、以降、藩の御用窯として製陶を続け、1658年ごろ喜蔵の三男藤四郎が分家、また、1769年頃に藤四郎の子太郎助がさらに分家して以降、三窯を中心に幕末まで隆盛を築く。
明治の藩窯廃窯以降は一時衰退を辿るが現在も伝統を重んじた作陶を行なっている。
藩窯時は小岱焼と共に肥後国を代表する焼物で、高取、朝鮮唐津などに似た作域を見せていたが器に三島手の様な象嵌を施した技術を完成させ格式高いものを残す。
〔陶 印〕
「扇山」小判印「東」など
|