尾張藩士、
村瀬美香
が1852年に名古屋前津町の自宅に市江鳳造の娘でもある妻の縁で鳳造から作陶を学び窯を築き楽焼を始めたのが始まりである。その後、次男の亮吉が後を次いで明治中後期まで続いた。3代は3男の熊吉、4代は4男の四郎が継いだが、1919年(大正8年)に不二見焼合資会社となり圧縮タイル製造会社に変わる。
初代及び2代のほか工人を雇っており初代・2代の作では釘彫りによる「ふ二」、陶工による大量生産品は「不二」に区別されるほか、初代が楽焼専門であったのに対し二代は染付陶器の皿なども手掛けた。
〔陶 印〕
「不二」「不二山人」小判印「不二焼」など
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