母里焼

母里焼
Mori yaki

陶磁窯

1819 ( 文政2 )〜 ( 現在 )


出雲焼の一つで出雲松江藩の支藩、母里藩主松平直興が石原善右衛門を招聘して御用窯として開窯し、その後、東母里原代の天馬に移窯するがすぐに閉窯した。
弘化4(1847)に上田武蔵が引き継ぎ、上天馬焼と称し、運営するも嘉永3(1850)に豊岡に移窯、それを豊岡焼と呼んだ。
その後、廃藩置県のあと明治22(1889)に、稲垣茂平が元の地に戻って開窯し以降、日用雑器を中心に現在に続く。
江戸期の母里焼の現存は少ない。

〔陶 印〕
「母里」 「」 「」 「」 など

〔市場評価〕


落 款 ・ 印 章