鐘渓窯

鐘渓窯
Shokei kama

陶磁窯

( )〜 ( )


河井寛次郎 の窯名で1920年に5代清水六兵衛より譲り受けた窯をその町名(京都市東山区鐘鋳町)から鐘渓窯と名付ける。
初期の中国・李朝写を制作していたころに箱書、陶印ともに鐘渓窯、あるいは箱書のみ鐘渓窯として制作していたが、1926年民芸運動に参加するようになり次第に箱書に「寛」、陶印なしといったスタイルに以降している。

〔陶 印〕
枠無印「鐘渓窯」


落 款 ・ 印 章