西の丸焼

西の丸焼
Nishinomaru yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


徳川御三家の一つ紀州藩の御庭焼で当時和歌山城西の丸にて作陶を行っていた為この名が通称となる。
享保年間(1716〜36)にはじまり弘化年間(1844〜48)まで制作されており偕楽園焼、清寧軒焼とともに紀州の御庭焼として隆盛した。
また当初は京都から楽左入、長入などを招いて指導を仰いでいたとされる。


落 款 ・ 印 章