讃岐国(香川県)の焼き物で、高松藩御用焼。
1649年に高松藩主松平頼重の招きにより、京都粟田口の陶工であった森島作兵衛重利が創始した焼き物で、高松に来たときに姓名を紀太理兵衛と改名、以降、現在まで伝統を受け継いでいる。
初代の作品は無印とされているが、二代以降は「高」の印を作品にいれ、また10代の頃明治維新を向かえ、藩の庇護が無くなってからは名を理平と改名しており、現在は14代紀太理平が作陶中。
作品は、当初は色絵、安南、朝鮮写など当時の京焼きの流行を模ったものであったが、次第に染付、楽焼、唐津など多岐に作域を伸ばしている、また、初代森島作兵衛重利は京都で作陶していたときに仁清の門下であったとも伝が残る。
〔陶 印〕
「高」
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