京焼の一種だが、現時点ではいまだ謎の多い焼き物の一つとされる。
まず、1600年代初頭に万右衛門と称す陶工が洛北上賀茂の深泥池のほとりにて中国写、高麗写、信楽写など写し物をはじめてその後京焼きに代表される薄手の茶器を製作したのが創始とされている説ともう少し後の時代で仁清の門人であった源助と名乗る陶人が同地に窯を築いて仁清風の色絵陶器を製作したのが創始とする説があり、現時点ではどちらも推測の域を出ていないのが現状で幻の窯とされている。
数年前に京都大学の発掘調査により深泥ヶ池西の御用谷丘にて万右衛門のものと思われる窯場が発見されている。
いずれにしても遺品の非常に少ない焼き物である。
〔陶 印〕
「御菩薩」「御菩薩池」その他に、ひらがな「みそろ」草書釘彫にて「みそろ焼」など
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