出雲焼のひとつで出雲国意宇郡意東村(現、島根県八束郡東出雲町)にて江戸後期に(説では天保3年または文化年頃の創始)松江藩の磁器所(意東焼窯、長歳山焼窯、鳩峯山焼窯などを意東地区に移して開業した総称で、藩直慨の管理で地の陶工と有田(伊万里)から絵師を招聘して染付軟陶磁器を藩主、
松平不昧
の好みを中心に茶碗、香炉のほか多技にわたって製陶したが、天保22年に取締りが乱脈となり事業を中止。弘化元年にに取壊しとなった。
また意東焼閉鎖の後、それを受けて金成山焼が開窯し、これとは別に同村に鳩峯焼がはじまった。遺品は非常に少ない。
〔陶 印〕
「意東製」 「長歳山」 「雲陽長歳山」 「大明年製」 など
〔市場評価〕
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