萬古焼(万古焼)

萬古焼(万古焼)
Banko yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


伊勢国(三重県)の焼き物で1700年代中頃に伊勢国桑名の陶工沼波弄山が創始したのが始まりとされ、この時代のものを古万古焼などと称され、また弄山は上京して江戸にも窯を構えた事により江戸万古とも称される。
その後、弄山以降は一時中絶となるが1830年代(天保年間)になると森有節、千秋兄弟を中心に再興され、時代の志向に合わせて大和絵を施した作品や製造工程においても木型で成型をするなど新たな発展を遂げ、有節万古などと称される。
また、明治期に入ると桑名、松阪、四日市を中心に窯を築く陶工が多くなり有節万古を基本として様々な形態を見せ始め1870年の四日市港開港以降は海外輸出制作も盛んとなる。
大正期には水谷寅次郎が四日市で大正万古焼として日用使用を目的とした大量生産法を確立、さらに大正後期〜昭和初期にかけては寅次郎の甥に当たる初代加賀月華、瑞山兄弟が沼波弄山の古万古焼の衰退を嘆いてその復興に研究を示した。

〔陶 印〕
角印・丸印・枠無「萬古」など


落 款 ・ 印 章