徳川2代将軍
徳川家康の3男として生まれ長男信康は早死、次男は養子に出され結城秀康となるなど実質的な嗣子として14歳の頃に中納言職に就任。
信長が江戸幕府を開いた1603年のすぐあとの1605年に2代征夷大将軍に就任。
江戸城に居住して駿河城に移封した家康と共に二元政治を展開して武家諸法度、禁中並公家法度などを制定。
家康没後は更なる将軍政治の確立を目指して水戸、紀伊、尾張に御三家を配置、鎖国の布石として外国船の入港を長崎、平戸のみとした。
1623年に将軍職を辞して嫡男
徳川家光
に譲るが没するまで政治にかかわりを持ち父に倣った二元政治を展開。
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