御深井焼

御深井焼
Ofuke yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


尾張徳川家の御用窯として知られ名古屋城外廊御深井丸に窯があったのでその名が残る。
はじめ、1610年ころ尾張藩初代藩主徳川義直(家康9男)が産業保護の為、近隣の瀬戸の名工を招集して従業させたとされており当初は仁兵衛、唐三郎、太兵衛なる三人を中心とした物でその家系が家業として継続していったとされている、また一時その課程で業を中断していた時期もあったとされているが十代藩主徳川斉朝(1793〜1850)が加藤唐左衛門に窯を再興させて廃藩まで製造を続けた。
土は同地の祖母懐の土を使用し当初は黒褐色色の釉薬であったが中期ごろからは李朝写しのような緑青磁釉が出現し御深井釉が確立、再興後の窯ではそのほかに安南写しなど各地の写物も制作されていた。
印は大概「御深井」とされた印が大半を占めるがそれらは再興後のものであり当初からの物には「祖母懐」の印が入っているというのが一説にある。

〔陶 印〕
「深井焼印」「深丼」など


落 款 ・ 印 章