楽々園焼

楽々園焼
Rakurakuen yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


発祥は万治年間(1658〜61)の頃、尾張藩2代藩主の徳川光友が江戸の戸山藩邸にて築窯した御庭焼で元々は戸山焼或いは外山焼と称されていた物でこの窯は直ぐに廃窯となるが、後年の1841年に時の藩主12代徳川斉荘が瀬戸や赤津の陶工を招聘してこれを再興、瀬戸写や楽焼の模倣をよく作らせた。
土は祖母懐の土を取り寄せていたことから陶印には「祖母懐」と捺した物や「楽々園」、「正木」印などがあり陶器のほか瀬戸磁器の作品がある。
尚、「正木」印については窯の最高指導者正木伊織自作の作品。

〔陶 印〕
小判印「楽々園」枠無「楽〃園」小判印「祖母懐」押印「正木」など


落 款 ・ 印 章