但馬国三田(現:兵庫県三田市)の焼物で青磁器の製作が中心。
1789(寛政元)年頃に地元の陶工内田中兵衛が(土地の豪商神田惣兵衛の出資により)起こした窯でその後も磁器焼成技術向上のため中兵衛が有田(伊万里)に遊学、また帰国時に有田の陶工を招くなど陶業を盛り立て、さらには1810(文化7)年には京都より奥田頴川の指導や弟子の欽古堂亀祐を招いて指導を仰ぐなど向上に努め以降、三田青磁の隆盛期を迎えたが27(文政10)年に亀祐が京都に帰りまた、29(文政12)に出資者の惣兵衛が没するなどで次第に衰退となる。
明治期に芝小虎ら有志が三田陶器製造会社を設立したが小虎の没後は大正末期〜昭和初期の間に全くの廃窯となる。
作品は中国の天龍寺青磁のような薄い釉薬を使用して茶器、花器、皿など日用使用品から彫塑的な獅子、人物などの置物など幅広く制作していた。
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