会津本郷焼

会津本郷焼
Aiduhongo yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


文禄2(1593)年に当時の領主である蒲生氏郷が薩摩から瓦工を呼んで鶴ヶ城の屋根瓦を製造させたのが始まりと云われ、17世紀中頃には藩主の保科正之が瀬戸の水野源左衛門を招きはじめた。さらに寛政12(1800)年には有田や京都で学んだ佐藤伊兵衛が磁器の製法を伝授。現在の会津本郷焼が出来る。また明治期には他県同様積極的に輸出用染付けも試み、内国博や共進会にも出品された。
現在は大堀相馬焼についで窯元17窯と東北2位の規模を誇り活動する。


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