養老焼

養老焼
Yoro yaki

陶磁窯

1855 ( 安政2 )〜 ( )


江戸後期の美濃地域を代表する名工 大橋秋二 が晩年の1855年(安政2年)60歳のときに美濃国養老にて製陶を行った事が発端となる。
秋二作の作品には「養老」と楷書体の箆彫印がなされていることが確認されているが秋二が養老に窯を設けた二年後に没している為、この時代の養老焼は非常に希少で現存も少ない。
また、その後、1902年(明治35年)に養老郡牧田村(現上石津町牧田地内)の大工小谷嘉市が名古屋の前田鎌治郎と協力し同年10月頃より茶器を製造し「養老焼」として販売、06年(明治39年)には伊藤国太郎を加えて「養老焼陶器製造組合」を設立して一時期は好評を得たが規模が小さく需要に追いつかなくなり大正期中頃に廃窯となる。
そのほか1888年(明治21年)ごろより名古屋の人で素心と称す陶工が養老公園内にて観光土産用の手捻り茶器を製造したといわれるがこちらの詳細は不明。

〔陶 印〕
古印は押印楷書枠無「養老」
稀に秋二釘彫併用での「養老」がある。


落 款 ・ 印 章