年代、製作者など何通りかの諸説のある焼物で四角枠に鶯溪、小判枠に鶯溪などの印が確認されている。
諸説1
エドワード・S・モース(日本古陶磁研究家でその収集家でもあり古陶磁鑑定に大きく寄与)説では寛政年間(1789〜90)頃の焼物で近江国の
梅林焼
の一種ではないかと推測。
諸説2
製作者は不明であるが江戸中後期頃の江戸鶯谷鶯溪で焼かれた物。
諸説3
諸説2同様に江戸鶯谷鶯溪の焼き物であるがその製作者は江戸後期琳派を代表する画家酒井抱一で抱一が同地鶯溪に雨華庵を構え、書画に親しむほか乾山4世を名乗って乾山風の作品を焼いた物で「抱一」の彫銘や小判印「抱一」が確認されているが「鶯溪」の印も抱一作ではないかと推測される物。
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