種子島焼

種子島焼
Tanegashima yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


1946年に陶芸家で陶磁器研究家の小山冨士夫が種子島に訪れた際に江戸時代の古窯能野焼(よきのやき)を紹介されたのを期に、この窯の再興を基本とした新しい焼物として種子島焼を創始したのが始まりで従事する陶工には唐津焼の中里隆を選出した。
能野焼を基盤としているがその性質は大きく異なり窯の形状も能野焼が連房式であったことに対して種子島焼は朝鮮式単室蛇窯を採用、また能野焼が水甕、片口鉢、茶壷、蒸し器などの農民生活用具を焼いていたのに対し、種子島焼では茶碗、水指、茶入、花入、菓子器、酒器など茶道具や茶室用の食器など格式高い作品を制作、作域としては南蛮風の焼〆で玄妙な窯変が特徴的。


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