難波焼

難波焼
Naniwa yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


延宝年間(1673〜81)に陶工久野正伯によって創始されたとされるが、諸説あり承応2年(1653年)にはすでに焼成されていたとも言われる。
はじめ、大坂高津(現天王寺区)の高津神社付近にて始まったとされる為に高津焼とも称されるがその後、難波、今宮などの窯を移したため難波焼と称されるようになる。
作域は京都黒谷山(左京区岡崎)の土を取り寄せて高麗の呉須写や鉄釉、更に楽焼、仁清写など幅広く、水指、建水、花入、香炉などのほか小物なども製作。
しかし、一代のみで廃窯となりその窯跡も発見されていない為、現存作品は非常に少ない。
また、当時の難波焼の陶印は楕円形小判印、長角印、丸印での「難波」が確認されているが「浪華」印のものは明治年間の頃に再興した安治川硫酸会社製の物なので注意が必要。

〔陶 印〕
小判・丸・角枠印「難波」「雑賀寄付」 「浪華」(明治期)など


落 款 ・ 印 章