梅林焼

梅林焼
Bairin yaki

陶磁窯

( )〜 ( )


享和〜文化年間(1801〜18年)頃の近江国膳所別保の焼き物で同地の小田原伊兵衛なる者が中ノ庄梅林の土を使い、黄、青、紫などの交趾写を制作、茶碗、蓋置、茶入、鉢、香合などの茶陶を中心に高雅な作域を示したが伊兵衛一代で廃窯。
また、後年の文政年間(1818〜30)の頃に梅林金三郎と称す者がこれを再興、伊兵衛と同じ印を用いていることから伊兵衛の門人か職工でなかったかと推測されている。

〔陶 印〕
「梅林」 「清水梅林山」 「萬世楽」 など


落 款 ・ 印 章