姫路焼(東山焼)

姫路焼(東山焼)
Himeji yaki(Tozan yaki)

陶磁窯

( )〜 ( )


文政初年(1818)のころに播磨郡糸引村東山(現在の兵庫県姫路市東山)にて起こった窯で主に有田風の染付、青磁の花器、香炉、皿などを製作、また別名 東山焼 とも称される。
後に姫路酒井家の御用窯となり同地にて29年ころまで焼かれ31年には姫路男山に移窯、このころの作品には当時の京焼陶工の尾形周平を招いて指導を仰ぐなど製作品は特に優れていたが安政年間になると酒井家の手をはなれ民間の陶工たちでの制作に切り替わり明治期には1876年に工房「永世舎」を設立、主に輸出用磁器の製造に変化していった。
御用窯のころは繊細な染付技法により山水などが緻密に描かれた優品が残り市場評価も高いが明治期の海外輸出作品は濃紺を基調とした作品や赤絵の作品などで評価は前者に比べ落ちてしまう。
また印には染付と刻印があり「播磨東山」「東山」「姫路製」または小判型の円の中に「東山」の大小印の物は御庭焼き時代の制作で「大日本白鷺製」、ひし形松葉に「永」の染付銘は永世舎製の可能製が高い。


落 款 ・ 印 章