1746 (
延享3 )〜
1816 (
文化13 )
本名:惟完(惟寛)
号:春水、霞崖、拙巣、和亭
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【出身地・師系】
安芸国(広島県)竹原/片山北海
【所属・任】
広島藩儒官
【略歴など】
染物商を営む頼惟清の長男として生まれ、幼少の頃より儒学や書を学んでいたが19歳の頃に大阪の儒者片山北海に経学、詩文を師事、また、当時大阪に身を寄せていた趙陶斎に就き篆刻を学び、北海の門弟の中でも一際目立つ存在として名を上げその後、藩命により帰郷、以後、藩儒として出仕、江戸勤番を命じられ、昌平坂学問所の講師としても多くの門弟を指導した。
朱子学を追求し藩の学制を統一したり、朱子学を幕府正学とした一番の儒学者の一人として知られ、江戸後期の儒学者頼山陽の父としても有名。
代表著書に「負剣志」「師友志」他。
〔印 名〕
「春水」 「必正」 「霞崖」 「頼惟寛印」 「頼惟完」 「頼千秋」 「文魚」 など
〔市場評価〕★〔美年鑑評価〕100万
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