作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】東京/池田蕉園、尾竹越堂、尾竹竹坡【所属・任】旧官展系、女四人会、向日会創立会員【主な受賞】文展入選など【略歴・作風など】虚弱のため学業は自宅で修め17歳のころに女流日本画家池田蕉園の門下となりはじめ蕉蔭と号して作品を製作。明治45台12回巽画会で入選。また、蕉園のほかにも尾竹越堂、竹坡兄弟にも師事。大正2年の第13回巽画会展に「かへり路」で褒状3等を受賞、次いで「ばらのとげ」「池のほとり」「都の春(東京大博覧会出品)」などの意欲作を発表、この頃より「華羊」の画号を用い始める。15年に父の仕事の関係で大阪に転居、同年第9回文展では「青葉の笛」が入選し、第2回大阪美術展覧会に「浮舟」を出品、その後も毎年出品する。またこの年、島成園、星野更園、木谷千種とともに[女四人の会]を結成、25年には木谷千種、星野更園、三露千鈴らを会員、北野恒富、菊池契月らを顧問とする「向日会」結成に参加するなど大阪、関西地方を中心に活躍し、戦後は豊中に住した。代表作品には処刑される直前のキリシタン女性を描いた「殉教(伴天連お春)」など。〔印名〕「華羊」など〔市場評価〕★