作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】京都府/中島来章、塩川文隣【所属・任】帝室技芸員【主な受賞】【略歴詳細】京都の町奉行、安田四郎兵衛の子として生まれたが、その後、本家の幸野姓となる。幼少時に中島来章について画技を習得、16歳にして私塾、幸野塾を開き画を教えるなど早くからその類まれなる才能を開花、さらに塩川文隣について四条派の画法もこなして明治期を代表する画家として活躍。画の技量についても優れたが一方で総合美術学校の設立を計画して1880年に京都府画学校の開校に大きく尽力、以降、私財まで投入して学校教育の充実を目指し、86年には京都ではじめて絵画のみの展覧会である京都青年絵画研究会を開催、93年に帝室技芸員を拝命した。なお、門下から竹内栖鳳、都路華香、菊池芳文、川合玉堂、谷口香嶠らのちの日本画巨匠とされる画家を輩出しており現代京画壇の基盤を作った。52歳没代表作に「帝釈試三獣図」「秋日田家」「牡丹図」「百鳥画譜」「楳嶺画譜」など。〔主な作品所蔵館〕京都国立博物館/京都市美術館/飯田市美術博物館/滋賀県立近代美術館など〔印名〕「梅嶺」「梅峯」(「某山領」)「幸野直豐」「幸野直豊」「幸野豊印」「梅嶺」「直豊」「直豊之章」「豐」(「豊」)「香雪」「不知華落久一狂鳥是嬌無事己?樂春屋友鄷」「川鏡?華」「自間明印」「實貝中」(「実貝中」)「弐昧三昧」「思順」「竹外一枝」「宇赳青山」「香散之簾風」「文明開化」「帝室技藝員」(「帝室技芸員」)「大日本帝室技藝員」(「大日本帝室技芸員」)「鶯夢閣」「鶯夢」「鶯夢居士」「六柳北圃」「朱酒」「晴蝸蘆」「甠蝸室」「曾経御覧」(「曽経御覧」)「香雲深露」「無聲詩屋主人」(「無声詩屋主人」)「閑中日人?乾坤」「寉園麓」「清膏」「如意山樵」「夢眸雪生香」「沙彌誠信」「筆墨生涯」「川鏡?華」「鑑」など〔市場評価〕★★★〔美年鑑評価〕600万