作家资料
BIOGRAPHY初代西村彦兵衛(1719〜1773)2代西村彦兵衛(1744〜1803)3代西村彦兵衛(1774〜1832)4代西村彦兵衛(1806〜1875)5代西村彦兵衛(1837〜1884)6代西村彦兵衛(1864〜1932)7代西村彦兵衛(生没年不明)8代西村彦兵衛(1887〜1965)9代西村彦兵衛(1931〜現在)西村家の起源は寛文元年(1661年)に安居七兵衛が京都で唐物道具商象牙屋を開舗したことから始まり、その後象牙屋二代楠治兵衛の時に初代北本家楠治兵衛(唐物道具、塗物道具兼業販売)、初代南本家楠治郎兵衛(唐物道具専門販売)にわかれるが天明年間(1781〜88)の頃に北本家、南本家共に廃業となり北本家の別家筆頭であった西村彦兵衛が象牙屋本家を継承する形となり二代西村彦兵衛が塗物師としての技に秀でていた事から唐物道具商よりも次第に塗物業中心の仕事となる。3代は特に蒔絵の技術に優れ、朝廷より「蒔絵司」の称号を賜るまでに至り3代作「白象と普賢菩薩像」図の蒔絵額が当時市中で評判となったことから「象彦」と親しまれ以後屋号として使用。4代5代についての詳細は不明であるが、無難に家業を受け継いだ物と思われ、6代は蒔絵師、塗師としてだけでなく詩歌・書・茶道などに造詣を持ち風雅な人であったと言われ当時の表千家・裏千家をはじめ宗匠の好み物も数多く制作したといわれる。また、7代に関しては生没年不明、更に当主として在職した年数が2〜3年間であった為、遺作が少なく不明な点が多い。8代は若くして7代の後を受け継ぎ、明治、大正、昭和の3期にわたり家業を守り、更に欧米への漆器輸出の第一人者として新時代に適った販路の拡大に成功、また、美術蒔絵学校を設立して後進の指導にも尽力するなどその功績は大きい。〔市場評価〕★〔印名〕「象彦」「象」など