作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】江戸京橋【略歴・作風など】本名を鏡正之助であったが、後に田井家に入り、さらに尾形光哉の養子となる。はじめは独学にて画技を習得していたが、谷文晁、菊池容斎、川鍋暁斎らの画風に私淑するようになり、ビラ絵の仕事を生活の糧としていた。明治に入ると人力車に蒔絵を施す画家として人気となり、また貿易用の陶器や七宝の絵付け画家としても活躍、そのほか、新聞挿絵、小説の装丁なども手掛けている。一方、本業の日本画家としても1891年に日本青年絵画協会の設立に参加、日本絵画協会、日本画会にも出品を重ね、第6回文展で「山王祭」が三等を受賞、1898年には日本美術院創立に際しては創立同人として出品、銀賞を受賞している。さらに、パリ万博、シカゴ万博、日本美術協会展、勧業博覧会、文展などで国内外を通じて出品、受賞を続けた。大正九年11月1日61歳で没す。主に、歴史風俗、人物画の描写に優れた作品を残している。〔主な作品所蔵館〕静岡県立美術館/飯田市美術博物館/町田市立国際版画美術館/北九州市立美術館など〔印名〕「月畊」(「月耕」)「華暁桜」「華暁桜山人」「吉中吉」「江上情風」「山明月旬〃」「源李巴印」「一叡山一」など〔市場評価〕★〔美年鑑評価〕150万