作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】紀伊国名草郡出身師、小田海僊【略歴・作風など】一般的に出身地は紀伊国名草郡となっているが、一説に京都の医師名草精庵の子とも言われる。17歳の頃に小田海僊に画を学び、南画と四条派を掛け合わせた独自の画を描く、また、幕末時には勤王の志厚く、勤皇の志士と交わるなど尊皇攘夷を主張して東奔西走、後に大分に私塾を開き、その傍ら医業を営んだとも言われる。明治に入ると広島に移り寺町徳応寺に寓し、絵を教授、また、内国勧業博覧会、内国絵画共進会などに出品して褒状を受賞している。〔印名〕「露雪晴翠」「逸峰」など〔市場評価〕☆