作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】山城国のち江戸【所属・任】徳川家御用蒔絵師【略歴・作風など】江戸中〜後期の徳川家御用蒔絵師。「常加」とも記載される。江戸南塗師町に住み、初めは寺田姓を称し、代々「常嘉」(「常加」)または「常嘉斎」と号した。印籠蒔絵を得意とし、印籠の遺品が多い中、鞘なども残しており研出、高蒔絵、時に青貝螺鈿を施した作品も多い。天和3(1683)、「御印籠師」として徳川家に仕えたと云われ、幸阿弥長房と共に印籠・香箱などを制作。8代で明治維新を向かえその後は途絶えた。初代常嘉(不詳〜宝永7(1710))山城国出身。4代将軍家綱により江戸に召し出され、天和3(1683)に幸阿弥長房と共に小納戸御用・御好御用を勤めた。元禄3に病身により隠退、宝永7に病没。2代常嘉延宝8(1680)〜寛延2(1749)初代に男子がなかったため養子として2代を継ぐ。元禄3(1690)に11歳で相続、宝永7年(1710)に2代継承。寛保元には腰物奉行支配となる。3代常嘉不詳〜寛政10(1798)2代の実子で寛延2年に3代を継承。4代常嘉不詳〜文化13(1816)名は常次郎。3代に男子がなく寛政10に婿養子となり、将軍家御差御用を勤めた。5代常嘉不詳〜文政元(1818)名は新五郎。4代に男子がなく、文化12に養子となり翌年4代病死により相続した。文化14年に隠居。その後文政元に没す。6代常嘉不詳〜嘉永2(1849)名は英次郎。5代に男子がなく文化14に養子となり相続。嘉永元、病身により隠居。7代常嘉文化8(1811)〜不詳名は岩三郎。印籠蒔絵師苗木了甫の子に生まれ、父に蒔絵を学び、天保10に苗木家を相続したが、山田家6代に男子がなく、嘉永元に山田家の養子となって相続となり家督受ける。嘉永4には病気につき隠居。明治には東京赤城下町に住み印籠や鞘・小箪笥・香箱などを製作した。晩年は常翁とも号した。8代常嘉天保6〜不詳通称を幸之丞といい、7代常嘉に男子がないため、7代隠居を機に養子となって相続。当代で明治維新を迎え、代を終える。。〔印名〕「常嘉」(「常加」)「常嘉斎」など〔市場評価〕★★