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作家资料

BIOGRAPHY

【出身地・師系】江戸出身師、狩野雅信【所属・任】帝室技芸員、東京美術学校教授【略歴・作風など】天保6年7月27日生まれ。川越藩御用絵師を務める狩野派画家橋本静園養邦の子として江戸木挽町狩野勝川邸に生まれ、7歳の頃より父に画を学び、狩野勝川院雅信に師事。その後、1871年には海軍兵学校製図掛を命ぜられ、以降、海軍の御用絵師として出仕。82年には第一回内国絵画共進会展において「琴棋書画之図」で銀賞を受賞、85年、86年第1回、第2回鑑画会で「山駅秋色」、「弁天図」がそれぞれ3等褒状、2等褒状を受賞、また、此の際、フェノロサより認められて指導を受けて西洋画の技法を含んだ新画法を模索。88年には東京美術学校開校に際して教諭として招致を受け、90年に教授に就任、この頃、後の大家と称される横山大観、下村観山、菱田春草らを育て上げている。90年に第3回内国絵画共進会展で一等妙技賞を受賞、同年、新設された帝室技芸員を拝命。95年の第4回内国絵画共進会展でも一等妙技賞を受賞、以降も絵画共進会展で審査員を務めるなど活躍を示すが98年の東京美術館騒動では学長であった岡倉天心や門下の大観、観山、春草らと共に辞職して同年の日本美術院創設に参画、以降、同院の指導者的立場をとったが、同院が経済的破綻を見せ始めると1903年に独自に二葉会を結成、07年の第一回文展が開催されると審査委員に就任したが、翌年一月十三日に日本画の夜明けを見ずに没。享年72歳。当時、衰退を見せ始めていた狩野派の画法に洋画的な解釈を取り入れて再構築した功績は大きく評価されるが、贋物の出現率は非常に高いので特に注意を必要とする。代表作に「白雲紅樹(重文)」「竹林に鳩図」「虎渓三笑図」「大正天皇像」「竜虎図屏風」。公定鑑定は東京美術倶楽部〔主な所蔵館〕北海道立近代美術館/新潟県立近代美術館/茨城県近代美術館/埼玉県立近代美術館/神奈川県立近代美術館/横須賀美術館/静岡県立美術館/福井県立美術館/愛知県美術館/佐久市立近代美術館/飯田市美術博物館/滋賀県立近代美術館/北野美術館/山種美術館/富士美術館/静嘉堂文庫美術館など〔印名〕「橋本雅邦」「雅邦」「亨」「亨々」「亨々齋」(「亨々斎」)「勝園」「流己」「醉月畫生」(「酔月画生」)など〔市場評価〕★★★★★

落款印谱

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