作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】栃木県のち奄美住【略歴詳細】東京美術学校中退。幼少期より神童と称されるほど画力に秀で蕪村、木米などの南画を模倣するに至り将来画家になると決意し1926年東京美術学校に入学、この頃の同期には橋本明治、東山魁夷など後の巨匠と呼ばれる画家たちがいたが一村は3ヶ月で病のために退学。その後も病気や経済的な貧しさの為、中央画壇とは離れ南画のほか日本画を描き生計を立てていたがなかなか認めてもらえず戦後の47年になりようやく川端青龍社展にて初入選となる(この頃から一村号を使用し始める)。しかし川端と対立し青龍社からも脱退。55年奄美大島のスケッチ旅行がきっかけとなり以降奄美に在住、大島紬の染色工場で働きながら同地の風景画などを残した。生涯無名作家であったが「奄美の日本画家」としてテレビなどで報道されて以来、独特の画風と作品が見直されている。〔印名〕「米邨」(「米村」)「一村」「孝印」「十四童孝」など〔市場評価〕★★〔美年鑑評価〕?