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BIOGRAPHY

【出身地・師系】京都/高芙蓉、奥田頴川、宝山文蔵【略歴・作風など】※青木木米の歴は伝記が主で確定でないものが多くあいまいな表記なることに注意。京都祇園の茶屋「木屋」に青木左兵衛の子として生まれる。幼少のころより儒学者・画家として著名であった高芙蓉の指導を受け、その影響を強く受けて育つ。また、古銭に興味を持ったといわれ、その研究や模造に励んだとされるが、後に大阪の木村蒹葭堂を訪ねた際、書庫で清の朱笠亭が著した『陶説』を見て陶芸が一生の仕事であると決意したといわれている。陶芸の師は磁器を奥田頴川、陶器を宝山11代の文蔵に学んだといわれるが、そのほとんどが木米の独習による部分が多いとする説もある。京都粟田に窯を築き、家業(茶屋)の屋号「木」と通称の八十八を一文字にして「米」を足して「木米」と号して製作を開始、その天分の才は制作を開始して数年で京阪で高名となったといわれ、1801年にその名声を聞いて和歌山紀州の徳川治宝より招かれて瑞芝焼の創建に関わり、この際「停雲桜」の銀印を賜ったとされるが、これも異説があり確証はない。1805年には青蓮院宮粟田御所御用を命じられ、翌年には加賀金沢に赴いて卯辰山で試焼、一時帰京して07年に再び金沢に赴いて春日山窯を起こしたがその翌年に窯を捨てて京都に戻って以後は京都に定住して作陶を続け、中国写や李朝写のほか南蛮、交趾、染付、赤絵、白磁、三島など諸窯の陶芸を研究し特に急須を中心に線茶器を多く制作、その造形は現代茶器の基盤となり木米写しとして親しまれている、陶芸以外にも画・漢学にもすぐれ一家の風格すら感じ頼山陽、田能村竹田らをはじめ多くの文人とも親交を深めた。代表作「墨淡彩山水図」他が重文指定。〔主な所蔵館〕東京国立博物館/京都国立博物館/群馬県立近代美術館/石川県立美術館など〔印名〕〔陶印〕「木米」「木屋佐平」「觀」(「観」)「聾米造」「古器」など〔市場評価〕★★★★〔美年鑑評価〕5500万

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