作家资料
BIOGRAPHY周防国(山口県)出身梅田幽斎、広瀬淡窓、緒方洪庵はじめは18歳のころに郷里の蘭学者梅田幽斎に医学、蘭学を習い次いで豊後国の儒学者広瀬淡窓の門で漢詩等の指導を受け1846年には大坂で緒方洪庵の塾にて学ぶ。1850年には帰郷して郷里の村医者として生活していたが53年に伊予宇和島藩からの要請を受け出仕、西洋学や蘭学の講義や翻訳に尽力しまたこの間に長崎に遊学して西洋軍艦の研究なども進めた、56年には江戸に出て私塾「鳩居堂」を開校、また幕府からの要請などにも功績を残している。63年には萩藩の命により帰国して西洋兵学教授に就任、藩政の軍事政策の整備などを担当して第二次長州征伐戦争の際には活躍を示している。明治元年の戊辰戦争中は明治新政府の兵事参謀として旧幕府軍討伐に貢献しその後は大久保利通や木戸孝允らと共に新政府の幹部として行動示していたが彼の提唱していた急進開花主義に異を唱えるものも多くおり京都にて襲撃に合い後に死亡。