作家资料
BIOGRAPHY【出身地・師系】滋賀県のち大阪府住/庭山耕園、木谷千種【略歴・作風など】滋賀の実業家三露家の一人娘でのち、三露家が大阪船場に商いを移し数多くの習い事に精進する傍ら、21歳で光安育太郎を養子に三男二女を生む。庭山耕園塾で娘とともに画を習い、大正14に木谷千種が自宅に画塾「八千草会」を開いた際に娘二人(うち一人は三露千鈴)とともにその門下となり、当時画塾に通う門下生が16歳〜25歳ぐらいであった中一人、師よりも年上であったといわれる。15年第4回日本画展で入選。しかし娘の千鈴を20歳過ぎで亡くし、次第に画題は女性から花鳥に移り、先師の耕園にあやかって昌園と改号して画家活動を続け主に北野恒富の白燿社展や庭山耕園社中展を活躍の場とした。70歳で没す。娘には千鈴のほかに、同じ日本画の次女のフサ(号:貞園)がいる。〔印名〕「千萩」「昌園」など〔市場評価〕☆